気ままな人生、きままな旅

北海道 2007年秋

Last Updated Mar.12.2008

ま え お き

 本当はバイクで行こうと思っていたのだけれど、寒いので今回もクルマにした。なんて合理的(根性無し)な俺。
 北海道での最低気温は、5度を下回っていた。
 総走行距離が「約」となっているのは、距離計の故障のためです。

期間:9月26日〜10月10日
使用車両:パルサー5ドア1,500ccマニュアル
総走行距離:5,500km
燃料使用量:321.52リットル
燃料代合計:43,441円
平均燃費:?
平均金額:135円/リットル
燃料価格:129〜140円/リットル

9月26日 千葉の自宅〜岩手件岩手町

 予定通りの時刻に起きたのに、準備は前日までに全て終わっていたのに、なんやかやと遅れてしまい、成田で朝の渋滞にはまってしまった。
 こうしてまた、路上の人となった。

 俺のクルマのまわりにも、同じ方向へ走る多くのクルマがいて、一見それらは何らかのつながりがありそうにも思えるが、やはりそれぞれはまったく別の空間にいる何ら関連も無い別個の存在で、いくらたくさんのクルマが走っていようと、俺は孤独な運転を何時間も続けることになる。
 以前付き合っていた娘のことや、つい最近知り合った女性のことを考えながら運転しているうちに、いつの間にやら何も考えられなくなり、何を考えていたのかも、何を見ていたのかさえも思い出せなくなり、ただただハンドルを握り続けている。
 「瞬眠」という言葉があるように、人間には起きているつもりでも眠る瞬間があり、それに気づくことはできないので事故が起きる。こんな状態で長時間運転を続けているのに、よくも事故を起こさないものだと自分の事ながらいつも感心してしまう。もっとも、そうでなくては世の中交通事故だらけになってしまうだろう。
 俺は酒を飲む習慣はないので、長時間車を走らせることには都合が良い。本心を吐露すれば、酒は無駄だと思っている。もし酒を飲まなければ、クルマどころかマンションさえ買えたヤツを何人も知っているからだ。
 酒好きは、何かと理由をこじつけては酒の効用を説くが、そのほとんどはデタラメである。
 「酒は百薬の長」と言うが、それは適量を守った場合の話で、ほとんどの者は飲みすぎて害にしかならない。本音で話し合う、コミュニケーションを図る等の理由で、特に上司などは、酒の席に誘うが、酔ったからといって本心を語る保証は無く、飲みに行ってもそれが仕事の延長ならばやはり仕事用の顔をしている。さらに俺の経験から言えば、酒を飲んで本音で語り合おうなどと言うヤツに限って、本心をさらけ出す者はいない。そういった輩は、一方的に相手の考えていることを知りたいだけで、ほとんどの場合は知ったことを自己のためのみに利用する。その一方で、付き合いのいいヤツは自分の仲間だと思い込む傾向にあるが、本当に付き合いたいと思う部下はまれだ。たとえそれに気づいていても、そう思わないことには精神が安定しないのかもしれない。

 日が暮れてもなお国道4号線を走り続けていたら、疲労のためか信号を見落としてしまった。今日はここで終わりにすることにした。
 岩手町の道の駅「石神の丘」で、就寝。車内の温度計は、13度をさしていた。

尻労(しつかり)漁港
9月27日 岩手町〜石狩市厚田

 4時過ぎに出発。さすがにちょっと寒い。野辺地辺りから晴れ間が出てきたが、それでも雲は多めで晴れと言うには抵抗を感じる。
 尻屋崎に立ち寄った後、下北半島の太平洋側のどん詰まり、尻労(しつかり)漁港に行ってみることにした。こんなところでも、立派な港湾施設と道路が整っていることに驚いた。
 そびえ立つコンクリートの防波堤、カーフェリーでも接岸させるかのような長大な桟橋、永遠に終わることなく海中へ投入され続ける波消しブロック、どこの漁港へ行っても同じ光景を見せられる。もう、ひなびた漁村など、この日本には存在しない、存在することは許されないのだ。
 行く先々で大規模な公共工事を目の当たりにし続けると、地方活性化のための予算が足りない、地方財政が苦しいと聞かされても、「何を言ってやがる」としか思えない。
 都市と地方の格差を縮めるために都市で集めた税金が地方へ投入され続けると、取り返しの付かないことになるだろう。なぜなら、格差を縮めると全体の平均が下がるか、さもなければ共倒れになるからだ。これは、かつての共産諸国を見れば明らかだ。「愚者は自己の経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

尻屋崎
 少しがっかりした気分で、大間に到着。フェリーはすでに着岸していて、クルマも載せてある。作業員がずいぶんせかすと思ったら、なんと出航時刻を勘違いしていた。第1便は13時半だと思い込んでいたが、実は11時半だった。もしこれを逃していたら、5時間以上ここで待つか、青森まで戻ってフェリーに乗る羽目になるところだった。この時期、大間〜函館のフェリーは1日2往復しかない。13時半という出航時刻は、10月からのものだった。

 函館に上陸した時はいつも空模様を眺めてから、松前方面へ行くか真っ直ぐ長万部へ向かうかを決めるのだけれど、今回はどちらへ行っても結果は同じように思えた。
 道南でいちばんガソリンが安い長万部で給油して国道5号に戻るとき、市街地でネズミ捕りをやっていた。ヤツらはどう思っているのだろうか。通り過ぎるドライバーの視線が冷たいことは、わかっているはずだ。さげすまされてることもあると、感じているはずだ。でも必要な仕事だと、自分自身を納得させるのだろうか。
 15時半に黒松内の道の駅に到着(ここでもネズミ捕りをやっている)。近頃の道の駅は「税金で作った土産物屋」でしかなく、トイレを利用する程度の価値しかない。
 積丹半島はパスして18時に小樽を通過、19時に石狩市のサーモンファクトリーはす向かいにある丹野商店でサケとばを購入。ここは海産物加工品が安いので、いつも立ち寄っては買い物をしている。ここを知ってしまうと、函館の市場も釧路の市場も行く気がなくなる。
 石狩を過ぎると天気が荒れてきて走りづらくなったので、厚田中学前にあるパーキングで本日の行程を終えることにした。天候はさらに悪化し、クルマが揺れるほどの強風が吹き始めた。

厚田中学前のパーキング
9月28日 厚田〜中頓別

 6時過ぎに目覚めると雨はあがっていたけれど、風は強いままだった。このパーキングは海岸沿いの高台にあってとても眺めがいい。下に見える港で寝れば、風も静かで良かったかもしれない。
 そのまま日本海沿いを北上して、留萌で給油。留萌花園SS(澤井石油商事株式会社)というスタンドで、セルフ131円で給油したつもりが、レシートを見ると139円だった。なんと131円の給油機はいちばん端っこにある1台だけで、それ以外の給油機でガソリンを入れると139円になってしまう。店員は何も確認しないまま、そ知らぬ顔で高いガソリンを入れやがった。ほとんど「だまし」。いままで留萌には良いイメージを持っていたが、これでいっきに悪くなってしまった。
 サギまがいのガソリンスタンドを後にして、久しぶりにセコマの焼きそばを食べた後、さらに北上。

小平の廃屋
 小平(おびら)の道の駅でのこと。健常者なのに堂々と身障者用の駐車スペースに駐車するのは、いったいどんなヤツだと思って見てみたら、寺の坊主だった。袈裟を着たまま、クルマの中でケータイをいじっていた。恥ずかしくは無いのだろうか。こんなヤツは、地獄に落ちてもらいたい。
 その後も日本海沿いに北上を続け、遠別町の啓明で道道119号線へと折れ、さらに清川で道道256号線へと左折し、天塩町の雄信内(おのっぷない)に向かう。この道、交通量が少なくて走りやすく、沿道の景色も良いので、お気に入りのルートのひとつだ。
 雄信内からは国道40号線を少しだけ東進して道道359号線に折れて問寒別(といかんべつ)へと進入し、そこからは道道583号線と785号線と使って知駒峠を越えて国道275号線へと向かい、敏音知(ピンネシリ)温泉につかりに行った。家を出てからは始めての風呂だ。
 温泉ですっきりして、いつもの中頓別(なかとんべつ)のライダーハウスに投宿。タダだもんなぁ、ここ。
 もう9月も終わりとあって、3人しか宿泊者がいなかった。ここも9月いっぱいで今期は閉鎖となる。

若咲内
9月29日 中頓別〜稚内〜中頓別

 さぶい。
 中頓別が盆地なためか、それともこの部屋の湿気のためか、北海道でいちばん寒い場所かもしれないと思うほどだった。ここはカーリング場を利用した施設で、土間の上に簡単な床を作っただけなので湿気が多く、カビに対してのアレルギーがある人は利用しないほうが良いだろう。
 今日は特に予定は無く、こういうのが大好きなんだけど、とりあえず稚内へと向かい、いちお宗谷岬へ行ってみる。
 いつもどおりに知駒峠を越えて、道道785号線を使って道道84号線の日曹へと出た後に、道道121号線で稚内空港の横へと出てから、いつものセコマで腹ごしらえをして宗谷丘陵を通って宗谷岬に到着した。
 最北端へ来たと言う感慨はもうわかないけれど、いつもどおりの宗谷岬であることを確認すると少しほっとするようになった。
 中頓別への帰り道、声問(こえとい)漁港に立ち寄り、ここもいつもと変わらないことを確認してから、若咲内(わかさくない)を通って、色々なスポットの位置関係を確認するため、豊富町から幌延町にかけてをうろついて、中頓別へと戻った。
 今日は天気があまり良くなかったので、特に撮影もせずあちこちとさまよっただけだったけど、こういうのもいいもんだ。目的も無くさまようことが、とても心地良くなってきてしまい、今では道に迷うのさえ楽しくなっている。

稚内のサイロ
9月30日 中頓別〜稚内〜中頓別

 今日も知駒峠を越えて行く。この峠、北海道でいちばん景色の良い峠だとおもう。天気がよければ利尻富士を眺めることもできる。
 気のせいかもしれないけれど、昨日よりも木々が色づいたように見えた。木々は冬を迎えるために体内の水分を極力減らし、凍って幹が裂ける凍裂を防ぐ。もっとも、裂けたとしても表面だけなので、それが直接の原因となって枯れることは無い。そのためにも、木の中心部の赤い部分は活動を止める。こうしておけば、虫食いもきのこが生えるのも木の表面だけに限られるので、そう簡単に倒れることはない。
 峠を下り、上問寒で町営牧草地へと迷い込んでみることにした。砂利道をどんどん進んでいく。もう農作業はほとんど終えたのか、牧草地内には誰もいないので気兼ねなく楽しむことができた。
 小さな橋の上から川をのぞくと、鮭が泳いでいた。こんな所の川でもサケが見られるなんて思ってもいなかった。
 サケは再び生まれ故郷に帰ってくるために旅に出るのだけれど、俺には帰る場所はあるのだろうか。歌でも小説でも他人の人生でも、帰る場所を捜し続けるヤツは、どこにもそんな場所は無いことを知りながら、さまよい続けている。以前はそういった人間を「はみ出し者」あるいは「根無し草」と読んだが、現代では「落ちこぼれ」や「難民」と言うようだ。

豊富の木
10月1日 中頓別〜浜小清水

 ここ中頓別のライダーハウスは公式には今日で終わりだ。片付けが終わるまであと数日は宿泊できるよと誘われたけれど、迷惑をかけそうなので(役に立ちそうにないので)、今日出発することにした。来期はもっと早い時期に訪れたい。
 別れを告げるような気持ちで知駒峠を越え上問寒へとおりて行き、基幹農道から昨日進入して行った砂利道を走り抜ける。そこいらの四駆よりもずっとオフロードを走っている俺のパルサーは、14年目にして距離計が壊れてしまった。ゼロに戻すと動かなくなり、しばらくすると動き始める。もうここはいじらないことにした。速度計さえ動いていれば、何も問題は無い。距離計はドラム式なので、いくらでも表示を変えられるから、車検も問題は無い。

 北海道でいちばん好きな場所、道道121号線の西側にある豊富町の大規模牧草地で利尻島を見ようと、雲が切れるのを待つ間にラジオで「テレフォン人生相談」を聴く。俺は加藤諦三(かとう たいぞう)先生のファンなのだ。「ずっと我慢をしてきた人は、他人にも我慢を強いる。そういった人が我慢を強いることが無くなった時、人としての深みが増し実に良い人間になる」

 道道84号から710号を通って浅茅野(あさじの)へと出たが、710号はずっと未舗装で、雨が降ったら通りたくない状態だった。浅茅野台地は、天気がいまいちだった。
 このままオホーツク海沿いの国道を南下するだけではつまらないので、道道12号線で歌登(うたのぼり)を通り、道道120号から1023号とつないで、枝幸(えさし)町の乙忠部(おっちゅうべ)に出る。ここの郵便局でお金を引き出したとき、今日から郵便局は民営化されたんだと気づいた。
 採算性や機械への対応、後継者がいないなどの理由で、閉鎖された郵便局も多いと聞いた。
 今日は小清水で終了。原生花園の道の駅はやたらと蚊が多くて、とても居られなかった。
 

じゃがいも街道沿いの畑
10月2日 浜小清水〜根室

 ここの売店で売られている揚げ物を食べたかったけれど、開店まであと3時間も待つことはできなかった。
 網走はこの地域いちばんの都会らしく、通勤時間帯には多少は交通量が増える。

 幼稚園に上がる前のことだったと思う。毎朝親父が弁当を持って出勤していく姿を見ているうちに、俺も弁当を持って出かけたくなり、母に頼んで作ってもらったことがある。母は金色のメッキが施された厚みがあるアルミニウムの弁当箱を風呂敷に包み、三輪車のハンドルにくくりつけてくれた。きっと友達と申し合わせたか外でご飯が食べたいのだろうと母は思ったに違いないのだが、俺はただ単に弁当を持って出かけたかっただけなので結局それを食べることは無く、いちにち遊んで家に帰って来た時には弁当は傷んでしまい、すえた臭いが漂ってきていた。あきれた息子だと母は思っただろうが、その件で怒られた記憶は無い。けれど、あの時の弁当のすえた臭いだけは今でも覚えている。

別海村営軌道
 じゃがいも街道を南下し、特にルートを工夫するでもなく弟子屈を通過し、多和平(たわだいら)へ。キャンプ場は別の場所に移ったようだ。珍しく向かいの牧草地へ入る道のゲートが開いていたので、行けるところまで行ってみたが、期待したほどではなかった。
 その後、弥栄、光進、西春別、上春別を通って、新酪農村展望台に立ち寄る。5年ぶりくらいだろうか。いつ来ても変わらないことにほっとした。このあたりの地域には、目印や目標となる特徴的な地形や建造物が無く、どこへ行っても同じような印象を受けるので迷いやすい。特に俺の場合、太陽が隠れてしまうと方向感覚が鈍るようだ。地図に記載されていない地名や道路番号がたくさん出てきて、いちど迷い始めると永遠に抜け出せ無いかのような感覚に陥ってしまうことがあるが、最近ではそれがとても心地よく、わくわくすることさえある。
 奥行臼には、別海村営軌道で使われていた車両が展示されていた。今後も保存のための費用が捻出できるだろうか。もしできなければ、他と同じように、朽ちたところで解体されてしまうだろう。
 今日の投宿は、インディアンサマーカンパニー。お世話になります。また、ひとりだけだ。
 カニ、うまかったです。

いつか来た道
10月3日 根室〜弟子屈

 雲は多めだけれど、晴れか。内陸部はもっと雲が多そうだ。
 根室半島をひとまわりして、ほぼ昨日のルートを逆にたどって、弟子屈(てしかが)へ。
 国道44号線と243号線がぶつかる少し手前で左折し、道をはしょる。大きく波打つ牧草地の丘をいくつも越えて行くこのルートも悪くない。途中で丹頂鶴のつがいがいた。刈り取りが終わった牧草地でエサを探しているようだ。近くで見るとかなり大きいので驚いた。この時期は、ほぼ道東全域で丹頂鶴を見ることができる。

 丹頂鶴は基本的には渡り鳥だ。雪で地面が覆われてしまうとエサを見つけられなくなるので、江戸時代には冬場は関東にも渡って来ていたのだが、今は釧路湿原にとどまっていたグループだけが残ったようだ。釧路湿原の一部では水が沸いていて、そういったところだけは雪が積もらないので、渡りをしなくても生きていけるのだそうだ。

 渡り鳥はいつも同じ場所を行き来するのだけれど、子供の頃から引越しばかりしていた俺は、故郷だとか地元だとかいった意識が全く無い。たぶん一生そういった感覚を持つことは無いだろうし、理解もできないだろう。
 故郷とは、どんなものなんだろうか。そこへ帰ってくると、安心するのだろうか。生まれた場所にずっと住み続け、そこで成長し、そこから外の世界へと出て行き、独立した後にたまに帰ってくる。それらは、どんな感覚なんだろうか。錦を飾っても、挫折しても、そこへ戻る。

 今日は特に何をするでもなく、「ひとつぶの麦」に投宿。不便な場所にあるけれど、こんだけきれいな部屋で2食付3,000円は、破格の値段だと思う。
 ここには犬が3匹いるのだが、1匹だけかわいがっていると他のがすねる。
 夜は、イビキ以外は、静かだ。

多和平
10月4日 弟子屈〜帯広

 あと数日ここに居たいくらいだけれど、今日から道東の天気は下り坂なので、帯広へと移動することにした。

 900草原へ登っていったら、「大阪府立河南高校」の生徒が団体で来ていた。ヒマこいたヤツらは駐車場を縦横無尽に走り回り、つまり放し飼い状態で、この幼稚園児レベルの集団を制すべき教師は見当たらず、数人は車道に飛び出して轢かれそうになる始末(俺が轢いてやるべきだった)。見るに見かねた売店のおばちゃんが注意をするほどの痴態だった。どの程度の高校なんだろう。

 奥春別のスキー場周辺の山が色づきはじめていたので、ちょっと寄り道をしてから、道道53号線を南下し、国道274号線で鶴居(つるい)村を抜け、国道240号線に突き当たったところで右折して北上し、阿寒湖に出た。このルートは交通量が非常に少なく路面の状態も良いので、とても走りやすかった。でも、スタンドやコンビには全く無い。

 阿寒湖のバスセンターでセコマに寄り、足寄を通過して帯広へと向かう。スイーツガーデンは閉店していたので帯広市内へと向かい、柳月本店で大好きなホワイトロードと三方六を購入。店員は、期待通りの完璧な対応だった。だからわざわざ本店で買うことにしている。時々デパートで仕事をする俺としては、ここの販売員の爪の垢を煎じて飲みたいくらいだ。六花亭は、明日にしよう。
 今夜は久しぶりの道の駅で宿泊。ここ音更(おとふけ)の道の駅で眠るのは、何回目だろうか。
 
 

然別
10月5日 帯広〜上士幌

 曇りだが晴れ間もあり、多少は期待できそうだ。
 9時過ぎに六花亭に到着。工事中で駐車台数が限られてしまうので、開店直後に来たのは正解だった。
 次は、夕べ柳月本店で買ったというのに、またスイーツガーデンで買い込むことに。どうせ付近を通るんだし、スイートロードはいくつあってもじゃまじゃない。
 お菓子を買い込んで、道道133〜54号線と走りつないで、三国峠へと向かった。峠ではなんと雷雨。仕方が無いので、車中でお菓子を食べながら雷雨をやり過ごしている間、他の観光客は平気で外に出ている、しかも傘をさして。死にてーのか、おまえら。

 1時間ほど峠の駐車場で過ごし、結局ひとりの犠牲者も出ることはなく雷雨は過ぎ去ったものの、空模様は相変わらず芳しくないので、晴れていた然別(しかりべつ)湖方面へと戻った。扇が原展望台よりさらに上、峠の頂上付近は、天気が良いことも相まって紅葉が見事だ。ここは北海道では珍しく針葉樹が少なく、見える範囲のほとんどが広葉樹で覆われているので、より豪華に映るのかもしれない。

三国峠
 再び三国峠へ向かう途中、三股にある喫茶店に寄ってみた。20年ほど前、まだ三国峠が舗装されていない頃に、自転車で訪れたことがある喫茶店だ。マスターと昔話に花が咲き、次々と埋もれていた記憶が甦ってきた。鉄道の「休止」という名目の実質的な廃線、ほこりにまみれた沿道のフキの葉、「もう列車は通らない」と書かれた踏切、砂利道のわだちをならすグレイザー。どれも遠い過去。「(道が整備されたので)もうこの峠を越える覚悟も決意も、ツーリストから伝わってこない」という言葉が強く心に残った。
 三股山荘で1時間ほど過ごしてから再び三国峠へと登ったが、天候は相変わらずでたまにしか陽は射さず、紅葉した山全体が日向になることが無いので、また来年来ようとあきらめて十勝平野へと降りて行った。途中でキツネを轢きそうになった。

 今日は金曜日、週末に備えて上士幌町の郵便局で終了数分前に預金を引き出し、ホクレンで給油。安い上にティッシュまでくれた。次もここで給油しよう。
 セコマで補給し、ガソリン満タン、おなかいっぱい、お菓子もいっぱい、これで完璧な状態になった。そして、偶然見つけた「ふれあいプラザ」の駐車場で力尽きることにした。目の前は病院で、何かと安心かな。
 ラジオを聴いていたら、明日はかなり天気が良いらしい。
 しょーがない、明日も三国峠に上がるか。

十勝三股
10月6日 上士幌〜美瑛

 期待に胸を躍らせて、でも予報がはずれるんじゃないかと恐る恐る空を見上げると、快晴。全天に渡って雲が無い。これほどの良い天気は、今回この日だけだった。
 朝もやも見たいものだと6時前には三国峠に到着したが、少々遅かったのか、もやなどまったく無かった。
 又々然別湖方面へ向かうべくいったん峠を下り、糠平の鉄道資料館で車掌車を撮影した。
 子供の頃の夢は、何十両も連なる貨物列車の最後尾に連結された車掌車に乗り、全国を巡ることだったけど、俺が成人するときには国鉄は民営化され、合理化のために車掌車は廃止されてしまった。現在、かなりの数の車掌車が、無人駅の駅舎として再利用されている。それらを見るたびに、子供の頃のたわいもない夢を思い出す。

三国峠
 太陽がちょうど良い角度に登った頃、白樺林を撮影するために三股に戻った。ついでに山荘によると、紅葉の見ごろと3連休が重なったため、大混雑していた。
 昼ごろになるとかなり混雑するだろうと、今回何度目かわからなくなった三国峠へ早めに登ると、期待通りの景色を見せてくれた。しばらくこの景色を堪能し、でも視点をどこに合わせているのか自分でもわからないまま、景色を眺めてから、今度はちゃんと峠を越えて上川へと降りた。
 降りきると次第に交通量が増えてゆき、旭川空港の脇を通過して美瑛に着いた。
 富川食堂に寄り、カツカレーを食べながら何も変わっていないことに安心して、また美瑛駅の駐車場で眠ることになってしまった。ここはトイレと洗面所が24時間使えるので、つい利用してしまう。

美瑛の木
10月7日 美瑛〜函館

 5時半に目覚めた。車内で5度を下回っている。でも、冬山用の羽毛の寝袋のおかげで、寒くは無い。4万円以上した冬期登山用なのだから、これくらいでなくては困る。
 一般的に羽毛(ダウン)そのものの品質は、その復元力を数値で表した「フィルパワ−」で決まる。フィルパワ−とは、1オンス(約28.4g)のダウンをシリンダ−内で圧縮し、一定の条件下で、それが何立方インチに復元するかを測定したもので、数値が高いほどダウンの空気含有量が多く断熱効果に優れるため、数値の高いものほど良質なダウンとされている。一般的に550フィルパワ−以上で高品質とされ、700〜800フィルパワ−のものが最も良質とされている。
 また、ダウンはとても細く繊維の孔から抜けやすいので、ダウンを包んでいる素材も重要だ。
 ダウンの最大の長所は、圧縮するとコンパクトになるところだ。ダウンよりも断熱性に優れた素材もあるが、小さく収納できる点ではそれらの新素材も太刀打ちできない。一方ダウンの短所は、湿ると極端に保温力が落ちてしまうところだ。寝汗で湿るだけでも膨らまなくなり全然暖かくならなくなるので、湿らせないように注意して機会を見ては乾燥させねばならない。

 今日から天気は下り坂で、ここ富良野の空も雲に覆われているので、すでに頭の中では家に帰ることが多くの部分を占め始めてきた。
 富良野での撮影もそこそこに、道道135号線を使って山脈の向こう側へ出て、シュウパロ湖周辺をチェックして、夕張紅葉山を通り、千歳、支笏湖、伊達と抜けて、長万部で補給して、19時過ぎに函館に到着した。
 新築なった函館フェリーターミナルは、なんとなく不便になった気がする。
 途中の豊浦温泉「しおさい」は、とても大きな施設でゆったりとくつろげるけれど、ミストサウナはぬるかった。これで大汗をかくには、宿泊が必要だろう。
 明日朝のフェリーに乗船すべく、今夜はここの駐車場で夜を明かす。
 

大畑のバス停
10月8日 函館〜三戸

 6時前に起きて、今期最後のセコマを求めて、函館市内をさまよった。
 北海道に上陸するときもそうだったけれど、今こうして北海道を離れるというのに、特に心が動くわけでもなく、何の感慨も無い。もう遠ざかる港を眺めることもしなくなってしまい、そそくさと海風を避けて船内に入ってしまうようになってしまった。船は、こちら側とあちら側、彼岸と此岸を結ぶ、もっと刺激的な乗り物のはずなのに。
 少々天候は荒れ気味なので、いつもよりフェリーは揺れたけれど、こんなもんじゃ物足りない。
 函館は雨だったけれど、下北半島の大間に上陸すると、晴れ間が多く暖かかった。

下北半島の漁港
 久しぶりに下北半島の太平洋岸を南下した。以前は交通量が少ない静かな街道が林の中を抜けていたのに、原子力施設ができてからは道路の整備が進みダンプカーが多く、便利になったのかもしれないが環境が良くなったとは言えないだろう。
 その後、わざわざ八戸に行った。八戸駅前の「達」で食事を摂りたかったのだけれど、今回も「準備中」だった。3時と言う中途半端な時間だからしょうがないか。ほんとに営業してるんだろうなぁ。
 いつもコンビニの弁当ばかりなので、たまには違ったものを食べたいと思い、三戸のスーパー「ユニバース」に入った。ここはファストフード店のようにテーブルと椅子があり、そこには電子レンジと無料で飲めるお茶があった。久しぶりに飲む熱い緑茶がうまい。ペットボトルとはやっぱり違う。
 俺がお弁当を食べていると、ちっちゃな女の子がお茶の機械から冷水を紙コップに入れようとしているんだけれど、背が低くてボタンに手が届かないので、俺がボタンを押して水を入れてやった。そして俺の横のテーブルでその女の子は水を飲みはじめた。ちょうどその水を飲み終わった頃、その児のお母さんらしき女性が買い物を終えてやってきた。「水くめた?」と訊かれてその児が何て応えるのかと見ていたら、その女の子は俺の顔をのぞきながら少し曖昧にうなづいていた。何十年か後、その女の子は今日のことを思い出すだろうか。

七時雨山荘
10月9日 三戸〜遠野

 6時少し前におき、途中の看板で見つけた「稲庭高原」という文字にひかれて、岩手県の浄法寺町から坂を登っていった。入り口、出口ともわかりづらい上に、そもそも部外者は歓迎していないのか、景色の良さそうな場所は牧場内のため全て立ち入り禁止になっていた。
 県道を奥に進み、1年ぶりに七時雨(ななしぐれ)山荘を訪ねた。紅葉にはまだちょっと早かったけれど、ある種のサンクチュアリのようなこの空間は、七時雨山をはじめとする周囲の山々が城壁のように取り囲み、外部とは遮断された独特な雰囲気があるので、ここを知る人も訪れる人も少なく、いつ来ても静かだ。

国鉄バス
 葛巻町の「塚森牧場」は、北海道のそれにも匹敵するほどの広大な牧場で、北上山地の尾根上にあるため眺めも雄大だった。天候は良くなかったけれど、この牧場内に置かれた倉庫代わりの「国鉄バス」が、とても良い。
 次に遠野へと向かうべく国道340号線を走っていると、「石見鉱山 岩手鉱業所」という鉱山があり、何やらサビ具合がとても気に入ってクルマを停めた。
 この鉱山、江戸時代からの古い鉱山で、最初は石炭を採掘していたのだが、石炭層の周囲にある粘土を採掘する鉱山に変わったようだ。今も採掘しているのかはわからないが、場内で機械音(たぶんサンダー)がするので、何らかの作業をしているようだ。またここは、採掘用のトロッコ列車でマニアの間では有名なようだ。

石見鉱山 岩手鉱業所
 鉱山を外から眺めたあと、何か食べ物を買いに岩泉駅へと向かった。少し遠回りになるのだけれど、超ローカルの盲腸線で有名なこの路線の終着駅をいちどは見ておきたいと、以前から思っていた。岩泉は予想よりも大きな町で、駅は「ウソだろう」と思うくらいに大きく立派だった。とても1日数往復しかない路線の駅とは思えない。記念に入場券でも買おうかと、駅事務所にいた老婆にたのんだのだが、「(ワンマンだから切符は売っていないので)自由に入って見ていいよ」と言われた。そー言やそうだな。
 遠野へと向かう途中、国道340号線は工事で時間通行止め。あと1時間は通れないし、この国道よりも細い道はないだろうと考え、作業員に聞いた迂回路を行くことにした。県道171号線を西進して、あの「緑資源機構」が作った林道へと左折。この林道は、全線2車線の完全舗装路で、国道よりもずっと走りやすく、場所が場所ならなんとかスカイラインと名づけられそうなほどの良い道だ。峠付近からの眺望も抜群だ。
 快適な林道を楽しんだ後、再び国道340号線へと出て遠野に到着。今日はここの道の駅。340号線って、あんなにボロかったかなぁ。夜は絶対に通りたくない。

10月10日 遠野〜自宅

 7時前に起きると、期待とは違って曇りだった。晴れていたら早池峰山に登ろうと思っていたのに・・・。だからわざわざ遠野へ来たと言うのに。
 国道283号線を西進し、107号線に変わって峠の直前、県道27号線へと左折して南下。種山高原に到着した。ここの種山牧場は、ほとんどの道が進入禁止で、何も面白くなかった。
 ちょっとだけ国道397号線を西へと向かい、途中左折して阿原山へと登っていった。途中の「金命水」の看板に引かれ、林道へと分け入った。この水を汲んでいた人の話によると、この水はとても人気があり、週末は長い間待たねばならないらしい。そんなにおいしい水ならばちょっと飲んでやろうと口にすると、とてもやわらかで丸い感じがする上に温度は冷たすぎずちょうど良く、今まで飲んだ水の中ではいちばんうまかった(名水なんて3階くらいしか飲んだことがないけど)。クルマに戻り「水バッグ」を持ってきて、2.5リットルほど汲んだ。
 体内のミネラルの濃度が下がるので、水なんて大量に飲めるものではなく、いつも結局はのどが渇いて缶コーヒー等を買ってしまうものだが、阿原山の金命水はほんとにおいしくて、いくら飲んでも飽きなくて、この水がなくなるまでジュース類を買うことがなかったほどだ。

 また汲みに行きたいけれど、いくらなんでも、水汲みに岩手県まで行くのもなぁ・・・

 

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