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気ままな人生、きままな旅

北海道バイクツーリング 2006-2

Oct.3.2006
Last Updated Oct.24.2006
北炭手塩鉱のホッパー
9月4日 留萌〜名寄〜中頓別

 今日は稚内まで行こうと思ったが、無料のライハがあるので中頓別に変更。やっぱタダは魅力的。
 いつもと同じルートでは面白くないので、小平ダムを通って士別に出て西興部を抜け、興部からはオホーツク海沿いを北上することにした。いつもオホーツク海岸を南下しているので、たまには逆を向いて走るのもいいだろうって目論見だ。
 小平ダムの手前の達布には、廃坑跡が残っている。北炭手塩鉱と言うらしい。画像はホッパーと呼ばれる施設で、貨車に石炭を積み込むためのものだ。線路がこの建物の内部まで延びていて、貨車は建物の下にもぐり込むように入ってくる。つまり、留萌からここまで鉄道があったのだ。
 この炭鉱は、昭和に入ってから本格的な生産を始め、1957年に廃坑。


達布のてんてつバス

 鉄道のほうは、天塩炭礦鉄道(てしおたんこうてつどう)という名称。北海道炭礦汽船(北炭)が、この北炭天塩鉱の石炭を留萌港へ運ぶために建設。会社設立時は天塩鉄道と称したが、1959年に改称。1967年に鉄道路線を廃止し、てんてつバス(天塩鉄道バス)として現存している。本社はたしか留萌のはず。


枝江差の海岸に残る漁師の家

 北上するにつれて、だんだん雲行きが怪しくなってきた。浜頓別の数キロ手前で、前方では明らかに雨が降っているのが見えたけど、降り出してから雨具を着ればいいやなんて思っていたのが、大失敗。数分後、降り出したと思ったら、即豪雨。雨具を取り出しているうちにずぶ濡れになったので、荷物だけカバーをかけて、あとはあきらめることにした。防水ジャケットなので上半身は全く濡れないけど、下半身はパンツまでびしょ濡れになってしまった。暖かい日で良かったよ。
 豊牛から同道に左折する頃には日没。夜に雨の中を走るのは、クルマでも避けたいって言うのに、まったく。
 結局7時過ぎに、中頓別のライハに到着。ちゃんちゃん焼きをやっていて、そのおこぼれに預かることができた。
 あと30分早ければ、雨に濡れることは無かったのに・・・


晴れている日のライハ
9月5日 中頓別

 昨夜到着後にいったん雨はあがったんだけど、夜が明けてみれば再び雨が降っていたので、今日はこの中頓別に停滞することに決定。雨の日と寒い日は、バイクに乗るもんじゃないね。
 このライダーハウス、正式名称は「みつばちむら」らしい。なんと町営で、だからこそ無料なのだろう。
 カーリング場に床を作って寝床としているので、やたらと細長い。また、床と言っても地面にビールケースを並べて、その上にコンパネを置いただけなので、湿気が非常に高いのが難点。食堂と水場は別棟。トイレは少し歩いて町営グラウンドのものを使用しなければならないが、これはできたばかりで非常にきれい。
 知名度の低い自治体が、公営で無料の宿泊施設を設けるのは、とても良い宣伝になると思う。どんなに金を使って立派な施設を作っても、日帰りだとたいして印象に残らない。いっぽうライダーハウスは使用していない施設を転用すれば安くすぐできるし、数日宿泊するので周囲にお金を落とすし、赤字になったらすぐにやめられるのでリスクは低い。
 近くに温泉か銭湯とコンビニがあれば、すぐにでもライハを作れるから、他の自治体もやってみればいいのにね。予算は大して要らないんだから。


毛がに

 で、ここのライハ、例に漏れず長期滞在者が数人居るのだが、平均年齢が非常に高い。面倒と言えば面倒だけど、ある意味安心である。
 また、町から管理を委託されている人が、たまにカニやらサケを持ってきてくれるし、釣りで滞在している人が獲物を分けてくれることもある。そんなこんなで、本日は毛がにの差し入れがあったのだが、カニで腹いっぱいにはならないので、ライハ所有のチャリを借りてセコマへと焼きそばと豚串を買いに行くのであった。
 それにしても、毎回思うことは、なんでカニカニとさわぐんだろう。
 ライハの横には立派なグラウンドと、できたばかりのかっこいい町営住宅があるが、現在2500人前後の人口は毎年100人ずつ減り続けているそうだ。
 大正10年(1920)、頓別村(昭和26年に浜頓別町に改称)から中頓別村は分村したのだが、どうやら合併することになったようだ。


中頓別寿公園のF104戦闘機
9月6日 中頓別〜浜頓別〜稚内

 晴れだ。期待できそうだ。
 ここ中頓別には、意外にも面白いものが沢山ある。
 まずは1960年代の戦闘機、ロッキードF104。中頓別の寿公園に展示されている。
 たぶんこれは三菱でライセンス生産されたJ型。全長約16m、最高速マッハ2.2、最後の有人戦闘機と言われた。
 かなりきれいな状態で、操縦席内部も良いコンディション。もしかしてエンジンも覗けるかと思ったけど、ふたがしてあった。予備としてはずしたはずで、さすがにエンジンまではもらえないか。
 誰か、タービンくれないかなぁ。


 実はここ中頓別にも、かつては鉄道が走っていた。
 音威子府からほぼ現在の国道275号線沿いに浜頓別に出て、鬼志別からは内陸に入り、沼川からは北上して稚内空港の脇に出て南稚内までの、約150キロの天北線だ。全通したのは1922年(大正11)で、1927年に手塩本線が開通するまでは、こっちが宗谷本線だった。総工費は、562万円なり。
 そして「国鉄」からJRに、昭和から平成に変わり、平成元年(1989)4月30日、名寄本線と同時に廃止となった。
 この天北線の建設当時は、鉄道はまだ音威子府までしかなく、安全保障上の理由(対ロシア・ソ連)で早急に稚内まで建設する必要があったのだが、それにしてはずいぶんと遠回りして稚内に行っているところが、ちとあやしい。利権がらみで決まったのだろうか、次回はこのあたりをさぐってみたいと思う。


中頓別寿公園のSL9600形

 画像の蒸気機関車は、上のジェット戦闘機のすぐ横に展示されている。貨物列車牽引用として設計された9600形で、大正9年(10年の説もあり)川崎造船所製。全長約16.2m、重量約16トン、走行距離はなんと244万km。ご苦労様でした。
 古いものを保存するのはよくあることだけど、こういった近代の「産業遺産」を保存するのも良いことだと思う。今生きている人は、こういったものの上に乗っかって生きているんだから。


中頓別の牧草地を抜ける道

 国道からはずれて奥へすすむと、こういう光景が待っている。だから、何度きても飽きることは無い。
 俺は、道に迷っても気にしないことにしている。そんなことでもなきゃ、絶対に行かないだろうなって場所がたくさんあることに、最近になってやっと気づいたからね。
 そしてこのような、吸い込まれそうな道を捜し求めてさまよっているんだけど、グッとくるヤツはそう簡単には見つからないんだよね。
 この道も、ガードレールや道路標識が無ければ、もっと良いと思う。


樺太をバックに熱唱する石川さゆり

 中頓別から海に出て、海岸線を北上して3時頃宗谷岬に到着すると、やたらと人が多く、駐車場も満車だった。聞くと、ここで石川さゆりの新曲発表イベントがあるそうで、特に予定の無い俺は、当然見ていくことにする。
 新曲は、ここ宗谷岬に関連しているらしく、それでこんなところで発表会をすることになったようだ。イベントの開始を待つ間にも、次々とファンクラブやら地元の商工会のバスやらが到着し、どんどん人が増えてきた。主催者が、「自由に撮影してください」と言っていたのには驚いた。商用に利用したらまずいだろうが、ヘタに撮影を制限するよりも、自由にしたほうが良い宣伝になると思う。他のタレントも見習え!
 日本最北端の碑の前に立った石川さゆりは、テレビで見るよりもずっときれいで、歌もうまかった。CDとライブでは大きな差が出る歌手が多い中、さすがに彼女はちがった。新曲のほかに代表曲も数曲歌ってくれて、くっきりと見える樺太の背景は場違いな気もするけど、「津軽海峡冬景色」には、思わず聴き入ってしまった。
 彼女くらいの大物歌手でも、このような地味な活動をするのを見て、俺もまじめにやらなきゃなぁと思った。でも、地道にコツコツやってくのとか、努力てーのは、どーも苦手で・・・
 なんか得した気分で、♪つがるかいきょぉ〜、って口ずさみながら稚内の市街地に入り、いつもどおり稚内温泉「童夢(ドーム)」で汗を流したあと、サガレンに泊まる。
 お金を出すときれいなところで寝れるんだなぁ。資本主義って、わかりやすくていいよね。


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