気ままな人生、きままな旅

北海道バイクツーリング 2006-3

Oct.3.2006
Last Updated Oct.27.2006
9月7日 稚内〜豊富〜稚内

 意外と知られていないことだけど、実はこの稚内とその周辺は大牧草地帯だ。ま、よく考えてみれば、他に利用できそうな土地では無いな。
 でこの牧草、イネ科とマメ科の牧草を適当に混在させているようだけど、イネ科のほうが生命力が強いので、マメ科のほうはたまに種をまかなきゃならないようだ。
 それにつけても、こんなにどこもかしこも牧草にしてしまって大丈夫なのだろうか。
 宗谷丘陵の未舗装路でクマの足跡を見つけたとき、こんなに開墾したらクマも困るわなと思った。
 でも牧草は、すごくいい香りがする。バイクで走っててもわかる。


夕暮れの稚咲内付近

 最近撮影をしていて良く感じることは、写真は真実とは違うということ。
 あたりまえといえば、あたりまえなんだけどね。
 目に見えるものを全て写せるわけではないけれど、目ではとらえられないものまで写せる。それに、普段目にするほとんどの写真は、実際よりもハデな色を出している。思い出は頭の中でどんどん美化されていくから、実際よりも鮮やかに写さないときれいな写真とは感じないからだ。
 ほとんどの人は、空や海は青い、夕焼けは赤い、雪は白いと思い込んでいる。実際はそうでもないんだけど・・・


稚咲内から利尻島の夕焼け

 やたらと蚊がいるサロベツ原野を逃げ出し、余裕こいて撮影をしていたら、そろそろ日没となってしまった。
 夕方は寒いからほんとは走りたくないんだけれど、今日は夕焼けがきれいだから、久しぶりに夕陽でも撮影してくかってことにした。
 たとえ9月と言えども、空がきれいに焼けるのは週に1度あるかないかだろうな。
 帰りは寒いし、そのわりには虫が多いし。
 今夜もサガレン泊。


宗谷丘陵
9月8日 稚内〜豊富〜中頓別

 いちお晴れたんだけどね、雲が多すぎ。もっとスカっと晴れてくれないかなぁ。
 以前は9月に入ったとたんに北海道は秋だったのに、ここ数年は苫小牧でフェリーから降りても夏の空気そのまま。9月も半分くらい過ぎないと、秋が来た感じがしないので困る。
 来年は9月10日過ぎに出かけようかな。
 でも遅くしたら遅くしたで、秋雨前線に引っかかって雨が続くかもしれないし、寒いしなぁ。
 9月最初から10月初旬くらいまで滞在できればいいんだけどね。


上問寒の空中トラクター

 ちょっと雲が多すぎるので、宗谷丘陵や豊富の牧草地での撮影を早々にあきらめて、またまた中頓別に向かうことにする。だって、無料なんだもん、中頓別のライハは。
 んで、いつもと違うルートをたどろうと、豊富から日曹に向かい、上問寒へ向けて左折し、知駒峠を越えて中頓別へと降りて行こうじゃないかということになった。
 上問寒は以外にも牧草地で、ゆるやかに起伏を繰り返す丘陵地帯だ。
 画像は、最近よく目に付くようになった、空中トラクター。これを作るには、かなりの労力がいるはず。


 牧草地帯をあちこち走り回っていたら、雑草の中に「問寒別簡易軌道終点跡」という碑があった。
 調べたところによると、鉄道沿線の開発がひと段落した大正時代に、さらに奥へと開拓を進めるべく北海道庁が敷設した鉄道で、最初は殖民鉄道と呼ばれたらしい。
 湿地帯が多くまともな道路が無い地域の、道路代わりとして建設されたもので、鉄道法の枠とは別のものだったようだ。
 この幌延町営軌道問寒別線は、1930年(昭和5)に使用が開始された、宗谷本線の問寒別駅から上問寒別までの約14キロの路線だった。最初は馬が曳いていたが、鉱山会社が借り受けたことを機に動力化され、1953年に村営化。その後鉱山の閉鎖や車庫の火災、併走する道路の通年通行が可能になったこと等により経営が悪化、1971年にその役割を終えた。
 画像奥の建物は駅舎かと思ったけど、真相は不明。現在ではごくわずかな痕跡を残すのみで、車両等はまったく残ってないようだ。
 この問寒別線以外にも、北海道には簡易軌道がたくさんあったけど、すべて廃止となった。今はごく一部で車両が保存されているのみとなった。


 意外と収穫の多かった上問寒別をあとにして、非常に走りやすい知駒峠を超えて再び中頓別へと降りていった。
 当然ライダーハウスへとしけこむ。
 今夜のメニューは超豪華。さんまとさくらますの刺身(るいべ)、イクラの醤油漬け、そしてちゃんちゃん焼き。
 イクラは大量に食べるものでは無いな。
 鮭は、チャンチャン焼きよりも、塩鮭のほうがいいや。


9月9日 中頓別〜紋別〜斜里

 今日もまずまずの天気だけど、あいかわらず雲が多くてすっきりとは晴れてくれない。午後にはほぼ曇りとなるパターンだろう。まったく・・・
 中頓別の駅跡には、こうして車両が残されているけど、内部は集会場に改装されてしまった。
 北海道に保存車両は数あれど、内部まで保存してあるのは非常に少ない。おまけに何度か再塗装していった過程で、ロゴマークや記号や車両番号が消えてしまっているのが、残念。
 中湧別の車両には、まだ国鉄(JNR)のマークが残っているのだろうか。


 これは計呂地駅跡に保存されている車両。計呂地駅は保存状態が良い。駅舎やホームの一部、線路やポイントもだいぶ残されている。近くの芭露駅は、今年になって解体されてしまった。
 画像のSLは、客貨両用として設計されたC58 139で、昭和13年(1938)の製造で、413両の同形車両のうちのひとつ。戦時中は東南アジアで使用するために軌間幅を変更されたが、結局船積みされる前に終戦となり、再び軌間幅を戻して日本国内で活躍した。当時多くの車両が戦地に残されたか、輸送途中で東シナ海に沈んだことを想うと、引退後もこうして保存されているこの車両は非常に幸運なのだろう。
 ここを走っていた湧網線は、中湧別―計呂地―佐呂間―常呂―能取―網走をつないでいた路線で、昭和8年(1933)着工、昭和28年全通、昭和62年(1987)に廃止となった。
 ちなみに1987年頃はウインクの全盛期であり、国鉄は民営化されてJRとなる寸前で、この2年後に時代は昭和から平成へと移り変わることになる。
 このころ全国で多くの路線が、国鉄民営化にともなって廃止されていったが、「我田引鉄」と揶揄されていたとおり、議員が票集めのために強引に鉄道を計画し、鉄建公団という国策会社が建設を請け負ったツケが、いっきにまわってきた結果である。
 この、利権にまみれ、採算を度外視した鉄道路線の計画や建設は、ダムや高速道路や諸々の公共施設に姿を変え、住宅供給公社や道路公団に引き継がれることとなる。
 年金や健康保険の構造も赤字路線と全く同じだから、このまま行けば近い将来破綻するのは必定である。


 今夜のお宿は、斜里にあるライハ「クリオネ」。受付は無人だったので、奥にある旅館で手続きを済ます。初めてで暗くなってからだと、たどり着けないかもしれないライハだ。
 ここは広いし、風呂も広くて、温泉なので24時間入れる。
 夜はちょっと冷えたので、薪ストーブを焚いてくれた。いい匂いだ。
 俺も薪ストーブ、欲しいなぁ。数十万もする鋳物じゃなくて、北海道のホームセンターで2万円くらいで買えるやつがいいな。


9月10日 斜里〜知床峠〜斜里〜釧路

 今日は知床峠周辺で撮影をすべく、知床半島へ向かう。以前と比べると道路は非常に良くなり、神秘的だったオシンコシンの滝はほぼ魅力を失ったと言っていいだろう。知床はもう秘境でもなんでもなくなってしまった。
 ウトロの町も多少道路の整備がすすんだので、走り抜けやすくなっていた。
 で、肝心の知床峠は・・・半分から上は濃い霧の中。神秘的かなと思ったけど、あまりにも見通しが悪くて、自転車くらいのスピードしか出せなくなってしまった。
 それでも峠まで行ったが、羅臼側から登ってきた人によると、羅臼側(太平洋側)もここと同じく小雨と言うことで、斜里まで引き返して弟子屈経由で釧路を目指すことに。
 知床半島を境に、オホーツク海側は快晴、太平洋側は雨、良くあることだけどね。


 斜里に戻り、弟子屈へ向けて峠を登っていくと、間もなく雲が厚くなった。数日前に浜頓別でずぶぬれになったことを思い出し、雨が降り出す前に、荷物にはカバーをかけ、雨具を着込み、雨用の手袋をはめ防水の靴下を履き、雨対策を済ました。
 案の定、峠の少し手前から小雨が降り出し、その後は釧路までずっと雨だった。
 釧路ではいつもどおり「ヒストリー」に宿泊。雨のためか、宿泊者が多い。
 タバコを吸わない人が増えているので、肩身が狭い。


9月11日 釧路〜浦幌〜帯広

 雨はあがり、もう降る心配はなさそうだけど、すっきりと晴れるわけでもなさそうだ。
 本来ならば、根室や別海町あたりが晴れるまで数日待つところだけど、今回は時間が限られているので、そろそろ苫小牧に向かわなければならない。
 たった数万円の仕事のために、2万円をかけてフェリーに乗るのは、まったくもってバカバカしい限りだ。次は何があっても仕事を断ろうと心に決めたのであった。
 時間が限られてしまうと、そのことがいつも気になってしまい、面白さが半減してしまうし、いい写真も撮れなくなってしまう。


 いつものごとく国道を離れてカンで選んだ道を帯広中心部に向かって走っていたら、「スイーツガーデン」の案内板を発見! 誰がどう見ても柳月の工場に間違いないのだ。
 案内の通りに進んで行くと、広い畑の中にこつぜんと大きな建造物が現れるのですぐわかった。明らかに周囲の風景に似つかわしくない、たとえて言うならパチンコ屋かラブホのように見えなくも無いが、まぁいいだろう。
 期待していた工場見学の時間は残念ながら終わっていたけど、ゆっくりと買い物ができるし、席に座って無料のコーヒーが飲めるとこがすごい。もうちょっと市街地に近かったら、六花亭ではなくこっちに来るのに・・・
 柳月と言えば三方六だが、それにもましてお勧めなのは小豆を使ったお菓子。なかでも豆大福がうまい。賞味期限が1日ってとこも、潔くてうれしい。
 そして帯広中心部に入り、「にしな」に宿泊。駅もコンビニもお風呂屋も、すべて歩いていける範囲にあるので、いつもここに泊まってる。


9月12日 帯広〜大樹(たいき)〜帯広

 今日は天気も良いし、大樹(たいき)町で海岸に出て、トーチカを撮影する予定だ。
 トーチカとは、分厚いコンクリートで作られた箱型有蓋の砲台のこと。大東亜戦争時、米軍の上陸に備えて設置されたもので、北海道の太平洋岸で上陸に適した海岸のいたるところに残っているが、どこの自治体も保存する気はまったく無いようだ。
 さてこのトーチカ、設置当時は被弾を避けるために当然のごとく半地下構造だったけど、波の侵食により完全に露出してしまっている。
 そんなトーチカが数個並んでいるところを撮影したかったのだが・・・・今は釣りシーズンで、どこから沸いてきたのか、こんな辺鄙な海岸にも釣り人だらけ。早々に撮影を切り上げて帰ることにした。
 釣りをしてもいいけど、ゴミやからんだ釣り糸はちゃんと回収しましょう。それと、波打ち際までクルマを乗り入れるのは良くないと思う。


 次は海沿い(ってほどでもないけど)を進み、昆布刈石の砂利道を見に行った。
 年々舗装工事がすすみ、新しいトンネルもほじってるようで、いずれ全線が新道に付け替えられてしまうだろう。
 能取岬の道もそうだけど、大工事をして整備するほど交通量が多いとは思えないけどね。でも北海道は地元マスコミが誇らしげに(もしかしたら自嘲気味に)言い放つとおり、まさに土建王国、主要産業は公共工事です、なので、よくある光景と言えばそれまで。ま、道路なんて、路肩をしっかり固めて舗装しちゃったほうが、維持費がかからなくなることが多いか。
 でもここを舗装しちゃったら、ただでさえ少ない観光客は減るな。


 帰りに帯広駅近くで、一旦停止をしていないということで、ミニパトに捕まった。
 その警官は、俺が足を着いていなかったという理由のみで捕まえたのだ、つまり、この警官にとっては安全なんてどうでもいいことなのだ。
 こうやって警察は信用を失い、協力者を減らし、検挙率が下がり、治安が悪化する原因のひとつとなるのだろう。
 残念だけど、もう俺は警察に協力することはいっさい無いだろう。
 聞いてるか、大村!
 6,000円で許してやるよ。


9月13日 帯広〜鵡川〜苫小牧

 あーぁ、もう帰えんなきゃならない。
 大回りになるけど夜の11時出港だから、士幌から三国峠を越えて苫小牧に向かおうと思ったけど、この時間からでは無理だろうってことで、素直に日高を通って行くことにした。
 最後だから、日勝峠では全開くれて、上のほうは回りが悪かったけど、久しぶりに快走した。
 峠を越えてしばらくしたら、工事で渋滞してやがった。
 おぼえてろよ、大村!


 清水町で、面白いものを拾った。乳牛飼育・若令牛育成用配合飼料の成分表だ。
 意外にも、生産は愛知県内。
 さすがに肉骨粉は含まれてはいないようだが、参考までにその成分と原材料を記しておこう。

粗たんぱく質18.0%以上粗脂肪3.0%以上
粗繊維12.0%以下粗灰分10.0%以下
カルシウム0.60%以上りん0.45%以上
TDN76.0%以上

 この他にも、ビタミン類、カルシウムや亜鉛などのミネラル類が、添加物として入っている。

原材料の区分配合割合
原  材  料  名
穀  類64%加熱処理とうもろこし、とうもろこし、加熱処理大豆、
(ライ麦)、(マイロ)、(玄米)、(小麦)
植物性油かす類
20%大豆油かす、なたね油かす
そうこう類10%コーングルテンフィード、ふすま
そ  の  他 6%糖蜜、炭酸カルシウム、綿実、食塩、コーンシロップ、麦芽、
酵母菌、マンナンオリゴ糖、麹菌発酵抽出物、
枯草菌、乳酸菌、(りん酸カルシウム)
 原材料名は、原則として配合割合の大きい順
 ( )内の原材料は、諸事情により使用しないことがある

 日本の配合飼料生産量は年間2,400万トンで、その原料の約62%は輸入飼料穀物で、さらにそのほかの飼料副原料・粗飼料を加えると、実質的には76%近くを海外からの供給に依存している。これは、ただ単に価格の問題だけではない。
 日本のような火山性の土壌に含まれるカルシウムは非常に少ないので、日本で生産された作物に含まれるカルシウムは、当然少ない。だから、輸入穀物などを飼料に使わないと、牛乳に含まれるカルシウムが少なくなってしまう。
 以上のことは、人間が食べる野菜などにも同様に当てはまるのだが、日本人は伝統的に海産物を多く食べてきたので、カルシウム不足にはならなかった。海水には非常に多くのカルシウムが含まれているから、海産物にも多くのカルシウムが含まれているからだ。
 つまり、海産物を摂取する量が減ると、日本人は簡単にカルシウム不足となり、骨粗しょう症の原因になるばかりではなく、イライラして怒りっぽくなり、すぐキレルことになるようだ。

 夜7時頃苫小牧着。ガソリンスタンドでファミレスの場所を聞き、ゆっくりと食事をして時間をつぶし、フェリーに乗った。
 大洗は、雨。
 やだなぁ、夜の雨の中を走るのは・・・
 来年も待ってろよ、大村!

 総走行距離は、約3,400kmだった。


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