エクソマス → ホールズクリーク 1954km
4/25 エクソマス 〜 Fortescue 434km
エクソマスから90kmほど南に戻り、そこからショートカットするように未舗装路に入り再び国道1号線に出て、Fortescueのロードハウスのテントサイトまで。
この手のロードハウスのテントサイトにしては、芝生もきれいで木も多くて大きくて、管理の行き届いた気持ちの良いところだ。それに冷たいビールもある。
この乾燥した大地で、人々の芝生に対する思いは、並々ならぬものがあるようだ。こちらでは、水をまかなければ公園の芝生も育たない。もしかしたら、乾燥しているからこそだろうか。
明日は、ポートヘッドランドは越したい。そうすれば、次のブルームまでが楽になる。タナミ(タナマイ)ハイウエイも近い。
「ライダー」が無かったので、ログキャビンという葉タバコを買う。ライダーといっても、たぶん乗馬のほうだろうけど。
それにしても西オーストラリアの景色は、おそろしく単調だ。ためしに時速80kmで走ると、気が狂いそうになる。
4/26 Fortescue 〜 ポートヘッドランド 354km
ポートヘッドランドに着いた。
途中で休憩したWhim Creekのホテルのおっさんと話した。3日ほど前、矢野君が泊まったようだ。その他、日本での給料の話しや、日本人ライダーはどのくらいの予算で来るのか、なども話しをした。
ポートヘッドランドは鉱山の町で、町じゅうサビ色。
もう少し先まで行きたかったのだが、時間が遅いし、タイヤ交換予定の横井さんは、日曜にブルームに着いてもバイク屋は休みだろうから、ここで交換していくことになったからだ。でも、結局合うサイズのタイヤは無かった。
ブルームまでの600kmは、2日かけて行くことにする。
湿気が多く、タバコの巻紙もくっついてしまいそう。この湿気のせいか蚊が多くて困る。
4/27 ポートヘッドランド 〜 サンドファイアーフラット 279km
昨夜寝ている間に、横井さんのバイクが地元のガキに、盗まれそうになったそうだ。気づいた横井さんは、走って追いかけて取り戻したとか。彼のバイクのタンクは容量が多いものに換えてある関係で、ハンドルロックが使えないのだ。
そしてそのタンクは半透明のポリ製なので、中のガソリンが赤く透けて見える。たしかに、残量が良くわるんだけど・・・。
ここのロードハウスのテントサイトは、緑が多くていいのだが、ついでにアリも多いし夜露が半端じゃない。
明日は、ブルームまで何も無い。
4/28 サンドファイアフラット 〜 ブルーム 341km
とてもたいくつな道だった。
地平線まで、何もさえぎるものも動くものも無いまっすぐな道。毎日毎日、同じ景色の繰り返し。
地平線も、3日で飽きる。
遠くに見えていた雲の帯がだんだん近づいてきて、やがてその雲は頭上を覆い、いくつもの日陰を抜けると、やがて前方には雲が見えなくなり、バックミラーの中で雲は空と同じ色になって消えていく。こんなことを数回繰り返して、ブルームのキャラバンパークに到着。
湿気が多くて、その上暑い。夜露やアリは大丈夫だろうか。
4/29 ブルーム 〜 フィッツロイクロッシング 256km
午前中はブルーム市内を見学。
ここには日本人墓地がある。明治の初め頃からここに真珠を採りにきた人達のお墓で、ほとんどは和歌山県の出身。でも今は、日本人は居ないそうだ。
元々は、浜から適当な石を拾ってきて墓石にしていたそうだが、荒れてしまった墓地を笹川良一が整備したと石碑に書いてある。いいことするじゃん。
ほとんどは男性だった。
お墓は全部で700基、900人ほどが眠っている。潜水病や溺死、サメの被害、それからハリケーンで一度に多くの人が亡くなっている。
やはり帰りたいと思ったのだろうか。俺が見物に来ても、歓迎してくれたのだろうか。1基だけ、まだ新鮮な花が添えられていた。一番新しいのは昭和55年で、名前からしてハーフの方のようだ。
真珠採りのダイバーは、アボリジニか南太平洋の出身者にかわったらしい。今でもサメにやられたりして、被害者が出るらしい。
それから、こんな小さな町にも、チャイナタウンがあった。
ブルーム市内を見学後に出発して、今日はフィッツロイクロッシングまで来た。
ますます熱帯っぽくなってきた。バオバブ(ボムツリー)というかった姿の木はあるし、水も増えて蚊がやたらと多い。こいつらは、ソックスの上からでも刺してきやがる。
4/30 フィッツロイクロッシング 〜 ホールズクリーク 290km
ホールズクリークまで来た。ここは湿気が少なく、蚊もいなくて、すごしやすい。
西オーストラリア州で、最初のゴールドラッシュに沸いた町らしい。オーストラリアもアメリカ西部開拓と同じように、金の発見が開発にはずみをつけたようだ。
2日前、ここに矢野君が矢野君が泊まっていた。