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気ままな人生、きままな旅

北海道 2007年初夏・6/6

Last Updated Jul.26.2007
天塩町の廃屋(納屋に再利用か)
7月6日 中頓別〜蘭越町

 今日から帰宅すべく、南下を始める。
 今回だけで何度通ったろうか、北海道でいちばん眺めが良い知駒(しりこま)峠を越えて、問寒別へとおりていく。
 雄信内(おのっぷない)駅によってから、道道541から119号線に乗り換えて啓明でR232に出て、あとはひたすら南下。
 14時過ぎに留萌を通過し、17時頃石狩のいつもの丹野商店でサケトバを買い込み、神威岬で夕陽を見ようと先を急いだけれど、水平線に雲が多くて残念。
 また、蘭越のパーキングに来てしまった。

鹿部の廃船
7月7日 蘭越〜青森県森田町

 6時半出発。きょうも良い天気だ。七夕だけど、俺には全く関係はないし興味も無い。
 寿都(すっつ)から黒松内(くろまつない)を抜けて長万部を通り、森町からは海岸線沿いに函館へと向かう。国道からはずれて森町に入るところで、ネズミ捕りをやっていた。
 森町から先は始めて通る地域だ。佐原(さわら)町の道の駅の案内所で、函館ー大間のフェリーの出航時刻を尋ねたけれど、ここではわからななった。たしか14時頃にあったはずだと、寄り道しつつもちょっとは急ぎながら函館へと向かった。

函館のフェリー乗り場

 だいぶ慣れてきた函館市街をすんなりと抜けて、13時半にフェリーターミナルに到着。なんとフェリーは13時50分発。ガス補給もできないままに、あわてて乗船手続きを済まして列に並ぶ。フェリーターミナルでお弁当と六花亭バターサンドは買えたけど、最後にもういちど、セイコーマートでヤキソバやら豚串やらカツゲンやらを買いたかったなぁ。
 現在函館のフェリー埠頭は大規模な改修工事中で、駐車スペースが狭くなっているのでかなり混乱していた。夏休みまでに工事を終えないと、大変なことになりそうだ。
 大間に着岸して振り向くと、恵山がはっきりと見えるほどの良い天気。あと1週間ほど出発を遅らせたなら、あちこち無駄な動きをしないで済んだのかもしれない。3万は違ったか・・・
 大間からは国道を走りに走って、青森を通過し五所川原を過ぎ、森田町の道の駅へ。
 明日は25年ぶりとなる、五能線沿いの景色を楽しもうと思う。

田代平高原
7月8日 森田〜宮城県三本木町

 五能線沿いの景色は、前回来たときは夏の終わりの夕方だったこともあってか、思い出とはだいぶ変わっていた。これは北海道でも同じことを感じるのだけれど、道路が良くなると沿道の景色から受ける印象は大きく変わってしまう。昔のひなびた感じが微塵も感じられなくなってしまった。もう来ることは無いかもしれない。
 次は、久しぶりの田代平高原へと向かう。能代の手前でR101から県道63号線、この道がとてもわかりにくい、に進入し、ひたすら東進開始。二ツ井町へ出てしばらくR7を東に進み、ほんとに必要なんだかどうだかわからない「あきた北空港」のおかげで立派になった県道325号を走りきり、本当に国道かよってくらいのR285で鶏肉で有名な比内(ひない)へ行き、比内町からは県道22号線を進んでR282へと進入し、安代(あしろ)で県道6号に乗り換え、途中で県道30号へ折れて、やっと田代平高原に到着(疲れた)
 田代平高原、ここはほとんど変わってなくて、ものすごく落ち着く場所だ。北海道と同じように牧草ロールを作っている。ちょっと小さめサイズだけど。
 赤い屋根の山荘に入って、ちょっと一服。ここも変わってないや。いいとこなんだけど、たまには宣伝しているけど、ここまでたどり着くのが大変なのか、多くの人に知られていないのが良いのかもしれない。
 あんまりのんびりしているとここから抜け出せなくなるので、重い腰を上げて撮影もそこそこに、下界へと降りていく。

松尾鉱山

 七時雨(ななしぐれ)鉱泉を通過し、西根町や松尾村まで来て八幡平の看板を見たとき、ふいに松尾鉱山跡のことを思い出したので、これはいい機会だとアスピーテラインを登り始めた。
 この松尾鉱山は、大正に入ってから本格的な採掘が始まった硫黄鉱山だ。昭和30年頃には人口15,000人を数え最盛期を迎え、水洗トイレとセントラルヒーティング完備の近代的な鉄筋コンクリートのアパートに、学校・病院・娯楽施設がそろった、標高1000メートルに浮かぶ「雲上の楽園」と呼ばれたが、石油から分離した安価な硫黄が出回るようになり、昭和44年に事実上の閉山となった。
 現在は第2の軍艦島とも呼ばれ、他の多くの鉱山と同様に、鉱山跡から出る強酸性の水の処理施設がある。また、露天掘りされていたところでは埋め戻し工事が進み、北上川の酸性化を防止している。
 公式には、立ち入り禁止となっている。
 ここは、東北のぺんぴな山の中だから廃墟になったのではなく、産業構造が、世の中が変化したからこそ廃墟になったのだ。北海道の多くの炭鉱町が衰退していくのも、まったく同じ理由だ。だからこそ、多摩ニュータウンや港北ニュータウン、千里ニュータウン、そして俺が今住んでいる町が、いつ廃墟になっても何の不思議もない。事実、俺が子供の頃住んでいた家は集落ごと丸々消滅してしまい、今ではその痕跡さえ見つけることが難しくなってしまい、そこに集落があったことを覚えている人も多くは無いだろう。
 鉱山跡見学を終えた後は、もう一度西根町に戻り、あとは素直に国道を通って盛岡を通過し、いつもの三本木の道の駅で眠った。

7月9日 三本木〜千葉(自宅)

 ひととおり見て回ったので、もう天気などどうでも良いんだけど、こういうときに限って天気がいい。
 北海道でクルマにこびりついたホコリやドロを、本州の梅雨の雨で洗い流しながら帰るはずだったのに、雨なんて降る気配もないくらい東北は天気が良かった。
 今回の遠出を振り返ってみれば、入梅する前に東北を見て回ってから、梅雨の無い北海道に渡って撮影しようと6月15日に出発したのに、当初の目論見は見事にはずれてしまい、北海道に渡ってからの10日間は期待はずれの天候で、少しでも晴れが期待できるところを探し回っていたら北海道をほぼ2周するハメになってしまった。とどめは、帰る頃には入梅して雨のはずの東北が、梅雨なんてウソだろうってくらいの良い天気だったことだ。
 もし1週間か10日出発が遅ければ、期間を短縮して費用を抑えることができたのに・・・
 走行距離9,500キロのうち3,000キロ、燃料代にして25,000円と食費15,000円の、約40,000円を節約できたはずだ。
 でも、余計に走ったおかげで新発見もあったので、まぁ、いいか。
 またしても、俺は移動しているのが好きなんだ、ということを確認したってことか。
 次は、秋。バイクで移動か。

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