気ままな人生、きままな旅 | |
北海道 2006年夏・4/12 |
大夕張鹿島の最後の廃屋 |
結局そのままセコマの駐車場で寝て、まずは大夕張の鹿島に向かったが、驚いたことにダム工事が始まっていて、大部分が整地されてしまっていた。電柱も道路も軌道跡も学校跡も、すべてが、痕跡さえもほじくりかえされて平らに整地され、やがて歴史も記憶も湖底に沈むことになるのだろう。
大型ダンプが忙しそうに走り回っていて、街が消滅してゆく過程をまざまざと見せつけられた思いがした。それと同時に、おそらく、もうここを訪れることは無いだろうと感じた。とにかく、北海道の主要産業が石炭鉱業から土建業に変わった現実を、ここ鹿島で目にすることができた。
こういったことはずっと前から、あちらこちらで繰り返されてきたことを考えれば、この鹿島で行われていることは何も特別なことではなく、これからもどこかで同様のことが始まるのだろう。ここ鹿島と他の違いは、自分の思い入れだけに過ぎないのかもしれない。
美瑛 哲学の木 |
鹿島を去り、ほとんどクルマが通らない国道452号線を北上して、芦別の手前で右に折れトンネルを抜けて富良野に出た。
しばらくの間、この哲学の木を眺めていたが他に訪れる人も無かった。去年の台風で枝が折れ、すこし姿が変わっている。
実はこの木は、別の方向から撮影すると真っ直ぐには写らない。強風にさらされて、斜めに立っているのだ。
美瑛の廃バス |
誰もが訪れる、美瑛の丘を眺める有名な展望台や、しゃれたペンションの裏にまわり込むと、こういったものが置かれている。
廃車でもバスの場合、そのほとんどは農具等を保管する倉庫や農作業中の休憩所として再利用されてはいるが、バスとしての使命は終えているので、廃車として扱っている。
廃バスは、乗用車やトラック以上にもの悲しく、それでいて美しく、強くひきつけられてしまう。
それは、鉄道が大きな赤字を抱えて次々と廃止となったように、多くの路線バスも苦しい経営環境にあるためなのかもしれない。
美瑛の富川食堂で食事をすませ、「ライダーハウスぬのべ」に向かった。たまには広々としたところで眠りたいのだ。
すいかの他、ニンジンとジャガイモのフライを出してくれた。スティック状に切ったニンジンのフライが、こんなにうまいとは知らなかった。
ここ数年よくあるのだが、今夜もRHでひとり。よほどヘンな時期に来るのだろうか。
分厚いマットレスとフカフカのふとんで、ぐっすりと眠れた。
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